2000年4月末、私は神奈川の会社
(東証一部上場企業)を退職した。 理由は所属していた大道芸団体の活動と 会社勤めの両立が難しくなったからである。 そして私は高知に帰る事を決意した。 「そうだ!原付(50ccホンダDio)で帰ろう!」 思えば実家から神奈川に出てきたものの、 その間にはさまれた土地の事を私は全く 知らない。 ゆっくりゆっくり、日本の真ん中がどんな ところなのか肌で感じてみよう! 直前に入った北軽井沢でのイベントの依頼。 いっちょ北軽井沢まで足を伸ばし、 一芸やってから帰ろう! 不安と期待に胸を膨らませながら私は 高知への長い旅に出た。 |
2000年5月4日 | 「猿橋」 |
5月5日
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「遥かなる北軽井沢」 |
5月6日
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「軽井沢マウンテン牧場」 |
5月7日
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「諏訪へ・・・」 |
5月8日
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「めざせ!走れ!名古屋へ!!」 |
5月9日 | 「山越え谷越え大阪へ!!」 |
5月10日 | 「ちょっと関西観光気分」 |
5月14日 | 「ただいま!!」 |
『大きな忘れ物』
関東での生活は丸7年であった。最初の4年は
東京都町田市。毎日仕事に明け暮れていた。 その後、神奈川県座間市で3年間過ごした。 座間市に引っ越して一年後、JAM(綾瀬ジャグラーズ ミーティング)と運命的な出会いをする。 この日から私のジャグリング生活はスタートするわけだ。 その後、大和市マジックサークル「たぬきのはっぱ」と 厚木市少年少女大道芸団体SF(シンプルフレンドリー) に出会い、親密な交流を経て数々のイベントに出演、 大きな実績を残す事となった。 そして突然の帰高。会社の仲間以上に親密な交流を していた仲間との別れ。彼らと過ごした日々は本当に 楽しい毎日であった。大好きな連中と大騒ぎした日々。 彼らと別れた今、本当にこれでよかったのかと言う後悔 の念はぬぐい切れない。彼らと同じように大騒ぎできる 新しい仲間が出来る保証はどこにも無い。 高知に帰ってしまった私は彼らの期待を裏切らぬよう 大きな仕事をしなければならないのだ。 |